Cheese

チーズを一日眺めていると日が暮れる。

音楽。記憶が始まる頃にはピアノ教室に通っていた。そのまま小学校が終わるまで続けた。友達はピアノを習っていることを知っていて、音楽の授業があるとピアノを弾いてとよく言われた。流されるままによく弾いていた。周りは、おお〜という感想を持つ。
俺は音楽をさほど好きではなかった。ピアノも好きじゃなかった。ピアノは女の子が弾くものだと考えていたからだ。今考えるとなんとも馬鹿げた理由だけど、当時の俺は真剣だったと思う。
家には親父がどこで買ったのかクラシックの CD が 100 枚くらいセットになったやつがあった。たいていのクラシックの曲はそこにあった。大概の時間、暇を持て余していたからクラシックの CD をひとつずつ入れて順々に聴いていたりしていた。他にたいしてやることがなかったとも言える。稀にかっこいい曲があって、指揮者の真似してステレオの前でフンフンやった。
学校の掃除の時間は、タイプライターという曲が学校内に流れる。家のクラシック CD の中にもタイプライターはあって、ああこれは掃除の時に流れる曲だ、と思ったりした。
そういう音楽の触れ方をしていたが、やはり音楽は好きになれなかったし、ピアノをやっていることに抵抗があった。親にピアノを辞めたいと言って、小学校を卒業すると共に辞めたのだった。今となっては高いお金を払ってくれていたのに申し訳ない気持ちもある。

タイプライター


変化があったのは高校生のときだったと思う。
正月や盆休みは親父の車で親戚の家まで行くという恒例のイベントがあった。片道、二時間足らずの道中、いつも車の中では井上陽水のカセットが流されていた。親が井上陽水を好きだったのか今でも分からない。なぜかそれだけがあって、飽きもせず同じカセットをずっと流していた。親戚の家に行くのは小学校以前からやっていたと思うし、そのカセットも随分長い間流されていたと思う。そのうち俺は、この人の声綺麗だなと気付いた。透き通っていて伸びのある高い声。気になった俺は親父にカセットを貸してくれと言った。親戚の家に行くのは年に数回しかないから、聴けるのは年に数回しかない。普段は母親の車に乗っていて、親父の車はこの時くらいしか乗れなかった。親父は簡単にカセットを貸してくれた。やっぱり親父は井上陽水をそれほど好きではなかったんじゃないだろうか。
カセットを借りてから、毎日聴いた。本当に良い声だけど歌詞は謎でよくわからない。何度も聴いた。これが音楽か、と思った。カセットに入っている曲以外のも聴きたくなった。それからコツコツと CD を買っていった。井上陽水に憧れてギターも買った。正月のお年玉を何年か貯めて買ったとかそういう感じだったと思う。毎日ギターを弾いた。それから井上陽水以外の曲も聴くようになっていくけど、自分の中での音楽の始まりは井上陽水になった。

それからは、中二病を患って様々な曲を作る症状に見舞われたり、大学に入ってジャズに出会ってまたピアノを始めたり、自分の腕のなさに挫折したりと、音楽は俺の半生からは切り離せないものになった。なにはともあれ、いまは音楽を好きになっている。
そう考えると、幼い頃にピアノを習っていたのは俺の人生に必要なことだった。ピアノを辞めたことは、何度か勿体無いことをしたと考えたけど、辞めたから気付いたこともあるから、あれはあれで辞めて良かったのだと思う。

そういえばなぜこんなことを書いているかといえば、なぜだろう?
そうだ、具島直子さんの「今を生きる」が良い曲なんだよと言いたかったんだ。良いんだよ。