7月5日、日曜日。8年半飼っていた文鳥が老衰で亡くなってしまった。大往生だった。ここ数週間で体調がだいぶ悪くなってしまい、徐々に出来ることが出来なくなっていき、ついにだった。とても、とても悲しい。少し前までは元気に鳴いたり怒ったり可愛く過ごしていたのにもういないんだよな。妻とそろそろかもという話をしていなかったけれど、日曜にはご飯を食べるのもしんどくて出来ないという状態になっていたからもう長くないだろうなと覚悟していた。目も開けないほど弱ってきていたのに最期は妻の手の中で目を開いて俺や妻のほうをじっと見てくれていた。たくさん感謝を伝えた。結婚する前から妻とは文鳥を飼うなら白文鳥かなーと話していたし、そのときから名前は決めていた。産まれる前から居た。そうして、徐々に目が閉じていって音もなく事切れてしまった。見守られて安心して逝ったように見えて、その場面が目に焼き付いてずっと離れない。
翌日には棺のようなものを用意して好きだったものをたくさん入れた。業者に依頼して火葬してもらって骨壺となって帰ってきた。文鳥よりも骨壺のほうが大きい。結婚して間もなく飼い始めたから家にふたりしかないのが慣れない。文鳥が居ないと家って静かだ。えさ皿のうえを移動するときのカチャカチャ音がしなくなった。遺品(?)整理したり、ゲージをきれいに掃除したりした。
今日は仕事している最中にこれを書いてる。まあ予想どおり仕事なんてする気起きないです。食欲もあまりない。今までの写真を見たり思い出や最期のシーンを思い返したりしてしまう。仕事にちゃんと取り組んだらきっと気が紛れるだろうなと思う。そのあいだは忘れられるから悲しくなくなっていいのかもと最初は思っていたけど、だんだんとそれは違う気がすると思えてきた。こういうとき、時間が解決するというが時間に任せるのは悲しい気持ちが薄れていっちゃうことなんじゃないかと思った。いまちゃんと悲しまないといけない気がする。こんなに悲しむのは時間が経ったら出来ないことだから楽しかったこととか思い返して、じっくり別れを悲しまないとって思えてきた。弔うために悲しむのは大事なことだと思う。
